色々と考えさせられました。
「あら楽し思いは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」
とは討ち入りを成功させた大石内蔵助の辞世の句といわれています。
(真偽は不明)。
やることやったぜこの世に未練なしってのが伝わってきて、完璧すぎて後世の歌舞伎かなんかで作られたんじゃないかと思っちゃうくらい。
すがすがしい。
辞世の句とは、かつての日本にあった風習で最後この世を去るにあたって残した句です。
歴史上の人物の人生が凝縮されている感じがして、
私はこの辞世の句が大好きです。
そんな私の認識をぶっ飛ばしてすごかったのが、
実在の人物ではありませんが、
「ラオウ:北斗の拳」の最後の言葉、
「我が生涯に一片の悔いなし!」
これな!
すがすがしい通り越して、充実感まであったりしてすごい。
最後の時を迎える際、天に向かって指をさしこのラオウの一言を言いながら逝けたらかっこいいなあ。
さて、
私は相当自分勝手な生き物であると自負していますが、
それでも
「余命宣告を受けたときは」(その後の診断で撤回されましたが)
しばし呆然としつつ、泣く気もないのに涙が出て、
しばらくしてようやく
「お花見ちゃんとしておけばよかった」
(これ余命宣告された日本人のほとんどが考えるとか)
とか
「保険なにに入ってたっけ」
とか
「お葬式」
とか
「ホスピス一択」
とか順番めちゃくちゃに混乱していましたっけ。
40代を過ぎ、もうすぐ人生の折り返しどころか曲がってもと来た道を歩いている感じがありますが、最近は
「いよいよ最後の時」
を本当に考えるようになってきました。
そして思いついたのが、大石内蔵助通り越して
「ラオウ」
だったと。
どれだけのこっているかわからない人生ですが、
できるだけ「どんちゃか」して過ごして
「悔いなし!」
ってやるんです!って決めました。
しかし小林麻央さんのブログを読んでなんで「ラオウ」にいっちゃかな?
そうつぶやいた家族の声は、聞こえませーん(笑)
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